江戸城の築城に携わった太田道灌は、荒川区にもゆかりある武将です。
そんな道灌にまつわる歴史スポットは、荒川区内の各所に残されています。
そこで荒川区にある歴史スポットと太田道灌ゆかりの地をご紹介します。
荒川区の歴史スポット:太田道灌と日暮里
荒川区と歴史的な関わりのある太田道灌は、室町時代の後期に活躍した武将です。
江戸城を築いた人物としても知られています。
内乱の時代を迎えていた関東地方において、江戸城は敵の侵攻を防ぐ重要な拠点でした。
そして荒川区には日暮里の道灌山や南千住の石浜城跡など、ゆかりある歴史スポットが多く存在します。
道灌山には物見台が設置され、石浜城は道灌が庇護した武蔵千葉氏の拠城になりました。
日暮里道灌まつり
荒川区にゆかりある太田道灌の魅力を伝えるため、平成30年から「日暮里道灌まつり」がスタートしました。
会場は日暮里駅前イベント広場で、関連自治体や店舗による物販がおこなわれます。
またステージ周辺では、伊勢原手作り甲冑隊による催しもあります。
観光ボランティアガイドによる街歩きツアーなども実施しているため、荒川区の歴史や太田道灌について学びたい方におすすめのイベントです。
荒川区の歴史スポット:太田道灌と三河島
若き日の太田道灌は鷹狩りの最中に、にわか雨に遭いました。
そこで農家に立ち寄って雨具の蓑を借りようとしたところ、出てきた娘は山吹の花を差し出します。
蓑を借りられず腹を立てた道灌でしたが、後に家来から『七重八重 花は咲けども山吹の 実のひとつだになきぞ悲しき(兼明親王)』の和歌を教えられました。
「実の」と「蓑」をかけて、雨具がないことをわびる目的で山吹の花を差し出されたと知り、太田道灌は和歌の勉強に励んだとされています。
この「山吹の里伝説」の歴史は、かつて三河島と呼ばれていた荒川6丁目・7丁目周辺に伝わっています。
三河島に伝わることのエピソードにちなんで、荒川区の日暮里駅前に2体の銅像が設置されました。
山吹の花一枝像
山吹の花一枝像は、平成30年に制作されました。
農家の娘が山吹の花を差し出す様子をあらわしたものです。
この「山吹の里伝説」は、豊島区高田や埼玉県入間郡越生町など、各地に伝承地があります。
太田道灌騎馬像「回天一枝」
騎馬像は平成元年に制作されました。
山吹の花一枝をきっかけとして、和歌の勉強に励んだ太田道灌を象徴する銅像です。
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